2023年3月5日に、藤沢市アートスペースで開催したワークショップ「アート×哲学:対話で深まる作品鑑賞」に、ゲストでお越しいただいた哲学者の河野哲也先生より、作品《螺旋と点》についてご寄稿いただきました。

以下、河野先生のご寄稿文を紹介いたします。

photo by Junji Kumano

螺旋の連続と間合い

河野 哲也 Tetsuya KONO[立教大学・教授]

2023年3月5日に、藤沢市アートスペースで、「アート×哲学:対話で深まる作品鑑賞」を実施いたしました。募集した人々がグループになって、アーティストMATHRAX〔久世祥三+坂本茉里子〕さんの作品を体験したあと、私たち哲学者が司会となり、作品から受けた印象や刺激を言葉に変えて、グループで互いに考えを深めあう対話を行いました。

MATHRAXの作品は、建物の階段部分を利用して展示してあり、上から下の階に降りていきながら、作品を触り、聞き、光に導かれて歩むようにできています。踊り場で水平に歩き、階段を下る身体運動、作品の手触り、作品に触れると生じる音、鑑賞者の動きに呼応する光の色が多感覚的に結びつきながら、階段を降りる螺旋運動のなかにひとまとまりになっています。歩くたびに多感覚的な要素がリズムとなって現れ、それがさらに階段を降りる運動を触発します。鑑賞者が作品に触れると、それが音へと変換し、歩くと光へと変換します。その音と光がまた足を進めるように誘うのです。そこにあるのは、階段部分の空間的螺旋と、聴覚・触覚・視覚・運動感覚が互いに触発して、かえってそれぞれが際立ってくる五感の螺旋、そして環境と自分とが循環しながら互いを活性化し、それが繰り返されることで経験が深まっていく経験的螺旋という、三つの螺旋です。その三つが絡み合うことで、MATHRAXの作品は成り立っています。

螺旋は、同じ場所を回っているようで、私たちを質の異なる深みや高みに連れて行ってくれます。同じものが繰り返されるようでいて、じつは同じものがひとつとしてない。MATHRAXさんの作品はそうした経験をさせてくれる作品です。私は、螺旋状の運動を、拙著『間合い:生態学的現象学の探求』(東京大学出版会、2022年)のなかで、「類似したものの再帰」と呼びました。類似していながら、同時に常に新しいものとしてやってくる。連続していながら、「移り際」や「切れ」があることで、その連続した流れがリズムを持ちます。そうしたリズムによって、はじめて連続したものが連続していると感じられるのです。移り際を入れ、リズムを与えることで、私たちは次の物や出来事を期待するようになるのです。

MATHRAXの作品は、日常生活の何気ない場所に「間」をもたらして、そのことで、日常の風景が活性化するようにできています。建物の端にある、ごくごく普通のあたりまえ階段が、作品によって、深い海の底に刺さっている巻貝の内部のように感じられます。身近な日常生活を、異郷のように新鮮に経験することができるのが、アートの力だといえるでしょう。


間合い 生態学的現象学の探究

著者|河野哲也 
ジャンル|人文科学  > 心理
シリーズ|知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承 2
発売日|2022/03/15
ISBN|978-4-13-015182-5
出版|東京大学出版会


ワークショップには、私たちMATHRAXも参加者の方と共に参加させていただき、皆さんとの対話から、深い洞察と意見の展開を目の当たりにさせていただきました。私たちの作品は、作家の意図や意匠だけではなく、鑑賞者・体験者の捉えた感覚やイメージ、問い、それらが共有されてこそ完成するものだと、あらためて感じました。
今回、一緒に豊かな時間を過ごしてくださった参加者の方々、河野先生、ファシリテーターの皆さん、ワークショップの開催にご協力をいただいた藤沢市アートスペースの皆さんには感謝の思いです。

お忙しい中、ワークショップを組み立てていただき、作品についても丁寧な紹介文をご執筆くださった河野先生にあらためて御礼申し上げます。

MATHRAX