2019年の夏に、茅ヶ崎市美術館で開催された展覧会「美術館まで(から)つづく道」がスタートするまでの様子を紹介しています。

photo: kenji kagawa

茅ヶ崎市美術館と展覧会のメンバー

MULPA(マルパ)というアートプロジェクト

普段、美術館は社会におけるどのような役割を目指し、どのような取り組みをしているのだろう?
私たちも美術に関わるものとして、美術館のあり方やその未来についての興味はつきない。

2017年の年末、その取り組みの一端を垣間見るようなプロジェクトの話を聞いた。それは、MULPA(マルパ)というもので、 2016年にかながわ国際交流財団の呼びかけでスタートした 神奈川県内の4つの美術館と芸術祭連携団体の実行委員等が集まるアートプロジェクトについてだった。

マルパは、「Museum UnLearning Program for All」の頭文字をとった言葉で、 「みんなで“まなびほぐす”美術館 ―社会を包む教育普及事業―」を意味し、 ステレオタイプ化した美術館のイメージを自ら問い直すことを目的としているという。

また「すべての地域住民」の美術館へのアクセシビリティを高めることを目指して、 地域と連携し、包摂的な教育普及事業を検討したり展開しているのだそうだ。

MULPAのサイトでは、各美術館がその地域の特色を取り入れた取り組みを行なっている様子が報告されているので、気になる方はぜひ覗いてみてほしい。

マルパのロゴ

2017年の冬、このMULPAプロジェクトに参加している茅ヶ崎市美術館の学芸員・藤川悠さんから、 この取り組みに沿った新しい企画を考えているという話を聞いた。

美術館が文化財の研究や展示、保存だけにとどまらず、 今、共に生きているものとして社会に関わり、地域や人々をつなぎ、 実践・実験していく場になってくれることは、私たちにとってもありがたい。

もちろん、人と社会をつなぐ試みは、関連催事や教育普及の場においても、今までに幾度も実施されてきていると思う。しかし、展覧会という形態は、あらためてその態度を表明し、人々に様々な議論を生みながら広く周知してくれるだろう。このテーマには、全ての人がいつかは目の当たりにし、考えなくてはならない問題がつまっているのだ。

茅ヶ崎市美術館の学芸員・藤川悠さん

茅ヶ崎市美術館の学芸員・藤川悠さん

茅ヶ崎市美術館への道

茅ヶ崎市美術館は、私たちMATHRAXも長年お世話になっている大好きな美術館だ。
スタッフの方々が素晴らしいのはもちろん、人がいてもゆっくりと過ごせるし、美術に対する堅苦しさもない。人がそれぞれ自由に物事を考えたり浸ることを許されている場所である。松林に包まれたこの美術館は、世間の喧騒を一瞬でも遠ざけてくれる別次元の空間なのである。

茅ヶ崎市美術館の外観

茅ヶ崎市美術館の外観

そんな茅ヶ崎市美術館は、JR茅ケ崎駅(南口)から海岸へ向かう「高砂通り」の道中にある「高砂緑地」の奥に所在している。

高砂通りにも美術館の看板はあるが、建物自体が道路に面していないため、うっかり通り過ぎてしまう人もいるだろう。気さくで温かな地元の人に尋ねてみたり、わざと迷ってみたりすることも茅ヶ崎の醍醐味ではあるが、この緑地の松林は、美術館を魅力的な立地にしてくれると同時に、幾度となく来館者を迷わせてきた。美術館のスタッフの方も、そのことに対してはどこか申し訳なく思っている印象もうかがえる。

人によれば、茅ヶ崎市美術館は「デジタルサイネージには表示されるがなかなかたどり着けない不思議な場所」とか「 隠れ家のような美術館」という意見やイメージがあるそうだ。個人的にはそちらのイメージの方がわくわくするが、もし自分が目の見えない立場であったり、言葉が分からない外国人であった場合には、たどり着くのに多少の不安を覚えるかもしれない。

茅ケ崎駅南口

茅ケ崎駅で見つけた地図.
高砂緑地から美術館にアクセスできるイメージはなかなか持ちづらい

茅ケ崎駅構内の地図

最近はスマートフォンでのナビが便利だが、車でのアクセスについても少しコツがいる。
私たちも実際に体験したが、Google mapのアプリをカーナビ代わりにすると、行き止まりの道に誘導されてしまい、もし入り込んでしまうと細い道をバックで戻らなければならないのだ。

Googleにその経路の表示を変更してもらうには、費用がかかるようで、美術館の方も少しずつ対応を進めているとのことだったが、今現在は、アクセス情報に「目的設定」に対する注意点を書き添えている。(今のところ「茅ヶ崎市美術館 駐車場」と設定するのが良さそうである)

高砂通りの広報板
小説家の開高健さんの目線の先に…美術館への地図が

よくよく観察しながら街を歩けば、細かな情報や配慮を見つけることもできる。しかし看板などの視覚情報は、それが見えて理解できる人にしか情報を伝えられないのも確かだ。

先に紹介したMUPLAの掲げる「すべての地域住民の美術館のアクセス」という言葉には、外国人や障がいを持つ方々も含まれる。一人ひとりの特性や能力によって得られる情報も変わってくることを、私たちは身を以て想像したり体験してみる必要があるだろう。

そして当然の如く、このプロジェクトの本質は「街がユニバーサルデザインによって美しく整備され、誰もが美術館にたどり着ける」ことではない。個人が、新しい視点で自身や今の社会の様相を広く捉えられることであり、そして自発的に変わっていけること。そこをしっかりと見つめ、今後も考え続けていくことにある。



美術館へのアクセスをどのように展覧会にするのか

先に紹介したMUPLAは「すべての地域住民の美術館へのアクセス」を目的とした「社会を包む教育普及事業」の展開を推進している。

美術館で開催する企画が「美術館へのアクセスについて」とうたうのは、一見シュールな気もしたが、ステレオタイプなイメージを見直すのであれば、これはこれで面白いのかもしれない。

茅ヶ崎市美術館で開催する企画名は美術館まで(から)つづく道に決まった。最終的には展覧会の開催を目標にしていたが、このタイトルには「人が美術館から出た後に世界の見え方が少しでも変わっていれば」という願いが込められている。

また、学芸員の藤川さんからは「インフラを整備したり、不便を解消する便利な商品を作ることで美術館へのアクセシビリティを解決する」のではなく「人の気持ちに変化を起こすという方法がとれないか」「それを美術でできないか考えたい」という提案があった。

「福祉活動としてではなく、美術の領域から議論を起こしていきたい」とか「感覚特性者たちにも一人ひとりが一個人として関わってもらいたい」という話になったのも強く印象に残っている。

そして以前、美術館の訪れたある弱視の方の「迷路みたいで楽しかった」という一言が、このプロジェクトのテーマを紐解く鍵になるような気がする、と話してくれた。この展覧会が、この一言のように結実していったらという思いだったのかもしれない。

美術館までの松林を歩くメンバーたち

話し合いを経て、展覧会の構想は以下のように決まっていった。

作家が、普段、美術館へのアクセスが難しいと思われる人々(※)と共に「茅ヶ崎の道」を歩き、それまでの経験から得たものを出発点とした「作品」を制作し展覧会において発表する。


※視覚や聴覚に障がいのある方、小さな子供連れの方、車椅子の方。
この企画では「感覚特性者」と称し表記した

新しい企画のため手探りではあったが、まずは「表現者」である作家が一人の「感覚特性者」とチームを組み、茅ヶ崎を共に歩いたり、ウォーミングアップのようなワークショップなどを行ってみることになった。

また、茅ヶ崎を歩いたりワークショップを行う際には、新しい取り組みとして「インクルーシブデザイン(※)×デザイン思考」という手法を用いてみることになった。

下の写真は、そのファシリテーターを担当してくださった鎌倉丘星さんだ。「表現者」が「感覚特性者」と過ごす中で新たな視点を得たり、隠れた価値を見つけ出すための手助けをしてくれた。そして企画の伴走者として最後まで関わってくださった。


インクルーシブデザイン
高齢者、障がい者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの最初から巻き込むデザイン手法

インクルーシブデザインのファシリテーターを担当してくださった鎌倉丘星さん

鎌倉 丘星
視覚障害、呼吸不全、車椅子ユーザー
神奈川県警察を難病発症で退官後、企業に入社するも難病が進行し退職。現在の会社インクルーシブデザイン・ソリューションズと巡り合い、役員として企業研修、商品開発、全国自治体の地方創生事業等を行っている。

作品を作りながら考えたい

この企画の要素にインクルーシブデザインやデザイン思考の方法論を使ってみようということになった時、私には「すでに作品制作における独自の目線や方法論を持つ作家たちに、なぜデザインの発想から生まれた方法論を適用するのだろう?」という疑問が湧いた。

しかし、実際にフィールドワークやワークショップでこの方法を用いてみると、参加者同士の環境もフラットになり、観察時の解像度が上がったり、自らの制作時の思考の癖についても客観的に見えてくるようになった。デザインはやはり整理することなのだ。

私はデザインの技術やシステムの美しさももちろん好きだが、なぜか、そこから零れ落ちて拾われなかったものの方が気になったり、考えずにはいられない性質があることも自覚している。

当初、MATHRAXはこの企画のデザインやアートディレクション、そして作家たちのサポートを依頼されていたが、学芸員の藤川さんに「作家としても参加できませんか?」と無理を言ってお願いしてみることにした。自分たちも作りながら考えてみたいと。

私の中でデザイナーとアーティストは、基本的に全く別の方向を志向している。世の中のある問題をある範囲において整理し解決しながら世界をつないでいくのと、限りない自己の求心力が世界とつながっているという状態では、ものをつくるプロセスも方法もフォーメーションも変わってくるだろう。

ただ、この企画については、それらの領域が交わる場所があると思った。それは、人が生きるための底力が働くようなところであり、職能や性質の違う者でも否応無しに同じ場に引きずり込むような力を持つ場所のことだ。ここが今回の自分たちの土俵なのかもしれない、と漠然と思ったのだ。

美術館へのアクセスというテーマは、本当に大まかに言えば「人と人の世界についての話」になるだろう。だからこそ今回の展覧会では、作家にとっての「ゆずれないもの」と「柔軟性」の表出が何より期待されたのではないかと思う。(今思うと、そんな試練にあえてぶつかりに行ってしまった。)

表現者と感覚特性者が茅ヶ崎を歩くフィールドワーク

茅ヶ崎の道を歩く、そして作る

「感覚特性者」の方々と話していると、あの人にはこんなことを聞いてみたいし手話を覚えてみようかなとか、盲導犬とのことも車椅子のことももっと教えてもらおうとか、その人に会うことがどんどん楽しみになっていく。思えば、今まで視覚や聴覚に障害を持っている人や、車椅子や盲導犬ユーザーの人、ベビーカーユーザーの親子と、こうしてじっくりと話したり共に時間を過ごす機会がなかなかなかったのだ。

作家たちは、感覚特性者たちと過ごした時間の何を出発点にするかを決め、もしくは探りつつ本制作に入っていく。もちろんチームで制作をつづけてもよい。
以下のリンクは各チームのそれぞれの茅ヶ崎フィールドワークと展覧会の様子である。

茅ヶ崎でのフィールドワーク

▶︎ 第一回「聴覚の感覚特性者と歩く道」フィールドワーク(2018年2月25日)

▶︎ 第二回「小さな感覚特性者と歩く道」フィールドワーク(2018年3月25日)

▶︎ 第三回「視覚の感覚特性者と盲導犬と歩く道」フィールドワーク (2018年6月10日)

▶︎ 第四回「車椅子ユーザーの感覚特性者と歩く道」フィールドワーク(2018年7月29日)


追記

▶︎ 展覧会「美術館まで(から)つづく道」作品編(2019年7月14日〜9月1日)

▶︎ 展覧会「美術館まで(から)つづく道」会場の様子編

▶︎ 展覧会「美術館まで(から)つづく道」映像編

▶︎うつしおみ

▶︎「美術館まで(から)つづく道」広報美術のデザイン

〈企画〉茅ヶ崎市美術館
〈主催〉公益財団法人茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団/公益財団法人かながわ国際交流財団
〈協力〉湘南工科大学総合デザイン学科/㈱インクルーシブデザイン・ソリューションズ
〈関連事業〉MULPA(マルパ):Museum UnLearning Program for All/
      みんなで“まなびほぐす”美術館―社会を包む教育普及事業―
      マルパ特設サイト

 ▷ 関連記事:茅ヶ崎市美術館「美術館までつづく道」レポート1
 ▷ 関連記事:茅ヶ崎市美術館「美術館までつづく道」レポート2


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